管弦楽団と30年前の記憶

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日曜日はひょうんなことから、流山フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会に行くことになった。
聴きたいというから、インターネットで予約してチケットを取った。
流山文化会館でやってた。
思ったよりも会場は混雑していて、ほぼ満員だった。
マチュアのクラッシック演奏会で、会場を満員にするのは並大抵の努力ではあるまい。それとも流山フィルは人気なのかな?
どっちにせよ運営者たちの尽力が想像できた。
楽家で食べていける人は本当に少ない。だからみんなアマチュアで、みんな仕事を持ちながら夜間などに公民館などで練習するのだろう。楽団を作るにはたくさん人を集めないとならないし。

小学校のときに金管楽器をやっていた。
あの頃は楽しいとか音楽が好きだとか、ちっとも思わなかった。
好きでもないクラッシックの知らない曲を練習して、退屈だったけどそれが義務だと思っていた。
でも運動会ではみんなの前で軽やかな曲を演奏し、それが楽しいと思えることもあった。
先生は厳しくて怖かった。特に夏休みの練習は大変だった。暑くて倒れたものもいた。

土曜日も練習で、でも友達同士少しのお小遣いを手に、学校前の売店カップラーメンやおにぎりを買って、音楽室に座って友達同士で食べるのは、給食とは違う自由な雰囲気で、僕はそれが好きだった。
なんだか習い事のひとつであるかのような感覚でやってた。

でも自分の思ったとおりの音を出せたときはうれしいものだ。皆がそれぞれのパートを練習して責任を持ち、それがひとつになったときにハーモニーが生まれる。

そんなことを思い出しているうちに、会場は暗くなり演奏が始まった。
…。生演奏は良いものだ。どんな高級なオーディオよりも迫力があるから。

また昔の吹奏楽部を思い出していた。
…今考えてみれば、あのときのメンバーは皆個性的だったと思う。それだからよかったのかも。

会社のように総務や人事、物流部や、運営部、商品部、企画部、いろいろな部署が違うことをする。でも目的はひとつ。
仲間だけど馴れ合いは良くないよ、と言う。

理想を言うなら「共通の目的を持った冷たい集団」でこそ、組織人だと思う。楽団もそうかな。
いや、別に「冷たい」必要は無いか。

しかし30年前のあの頃とは時代もすっかり変わり、フレッシュマンたちは、僕のような今となっては古い部類に入る人間の理解を超える。
この前も新人の女性が一人自己都合で退職した。優秀で明るく元気な子だったと聞いている。話をしたこともある。
退職の理由は
「世界一周の旅に出ます」
とのこと。

いまじゃ「別々の本心を持った仲良しを装う集団」のような気がする。

話がそれた。

コンサートは結構良かったが、3人とも少し寝てしまった(-_-;)

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流山フィルハーモニー交響楽団第36回定期演奏会
12月14日流山文化会館
指揮:佐伯正則
フンパーディング 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲
R・シュトラウス ホルン協奏曲第1番
ホルン独奏:阿部麿(サイトウキネンオーケストラHn奏者)
チャイコフスキー 交響曲第4番