受験とは

今日はゆっくりだが20走った。足が痛む。小岩のあたりまで行った。
片道一時間強がとても長く感じられた。

勉強を教えている。

来週は期末テスト。進路を決める時期。
平日も3日塾に行き、休日は模試を受け、テスト前に僕が勉強を観る。
どうなるかは分からない。分からないけどやるしかない。

なぜ高校受験が必要なのか。勉強は何のためにやるのか。
聞かれたことは無いが、きっと思っているだろう。

勉強に意味を見出せなければやる気も出ない。

英語や数学は今では教えなくても何とかできている。
国語、理科、社会が苦手。
科目で学力に大きく差がついているのは、なんだか昔の自分を見ているようだ。
社会は覚えることが多い。国語も漢字や古文、漢文など覚えることが多い。理科も知識として覚えることが多いと思う。

単純作業を集中力を持ってやるのは訓練がいる。

面倒くさいという時がある。
面倒くさいのだ、勉強だから。

面倒くさいこと、退屈なことをでも、地道にやることが大切なことを教えたい。
山を越えるには近道は無い。ひたすら登り続けるしかない。
そして逃げないで登り続ければいつかたどり着ける。

社会に出てもそう。
まずは地道にやるしかない。なぜか?

こつこつと仕事をするやつは安定している。
休まないとか、辞めないとか、という次元の話ではない。

安定しているやつは、信用される。

信用されるやつには仕事を任せられる。

任せた仕事を期日までにやり遂げるやつは信頼される。

新しい仕事は信頼するやつにやらせてみようと思う。

適当にやっているやつにはチャンスは回ってこない。
回ってきても気づかない。


必要とされる。
ということに近道は無い。

これは学歴とは関係ない。

僕は子にえらそうなことがいえるほどの学力が無い。
そう考えてみると勉強はしておくべきだったと思う。

だがもう一度あのころをやり直せるなら。そう考えるとついいろいろ言いたくもなる。

今の仕事に直接役立つわけではないが、やっぱり勉強は必要だと思う。

その仕事にあわせた専門知識が必要になるのだから。


五教科の意味について話した。

英語、言語を知らないというのは耳を塞いで暮らしているということ。洋楽の歌詞の意味も、コンピューターの言語も、英語が必要。

国語、ある意味一番大切な科目。すべての科目の問題は日本語でできている。言葉の持つ力と表現する能力を磨く。人間はどんな言葉を選び、どんな言葉を発するかで、人となりが分かる。言葉に込められたメッセージを理解する訓練。学びとるのも訓練、自分の思いを伝えることも訓練が必要。

数学、物事を数値で表して、論理的に組み立てて道筋を立てる。これは数学的思考の原点。数学で、物事には必ず答えがあることを知り、また割り切れぬこともあると知る。

社会、歴史を知ることはこの国がどんな問題を抱えているか理解できる。アジアの中での立場、アメリカとの関係、なぜ領土問題が存在するのか。

理科、自然や科学を知ることは自然の偉大さや、宇宙の神秘を学べる。


がんばってもらいたい。
そう願うばかり。

僕が代わりに受験できるわけじゃない。

たとえ受験に失敗したからといって人生が終わるわけじゃない。
勉強をしたからといって幸せな人生を誰かにもらえるわけじゃない。
長い人生からみれば、高校受験など小さいことなのかもしれない。

でも、面倒なこと、嫌なことから逃げ、楽なほうに流れてしまったら、この先に訪れるであろう無数の困難を乗り越えることなどできないだろう。

そうならないと信じている。
やるだけやったら最後は信じるしかない。
親にできることは、最後まで信じること。

困難を逆にチャンスだと思える心を持ってほしい。
面倒なことほどあえて買ってでもやるという逆転の発想。
自分が困難な状況に陥っていることを客観的に見れる余裕を持ってほしい。
そして苦しいことを楽しむという心の強さを身につけてほしい。

それができれば人生は面白い。