なくした日常

その日僕は朝から変な気持ちだった。9時半に高柳駅にいた。
松戸で用を足し、その後常磐線に乗って牛久まで行った。国道は時折トラックが猛スピードで走り、寒々しかった。
また電車に乗り、柏に行った。
いつの間にか柏も変わっていた。平日だが昼時でにぎわっていた。
一人でうどんを食べた。
東武野田線に乗って、春日部まで行き東武動物公園まで行った。
少し時間があったので、ゆっくりしていた。
会議は3時から。
タクシーで事務所に向かった。
事務所について、重い足取りで2階の事務所へ向かった。
川村さん、早いですね。ほかの人は?
そう言われた。

…出先から来たんですよ。
事務所のドアの目の前まで来た。

そしてその時はおとずれた。

いつもの地震だと思って廊下に立ち止まったままでいたが、収まらない。
次第に揺れば激しくなり、立っていられないほどの揺れとなった。
生まれて初めて経験する揺れだった。

天井は崩れて、大きな防火扉はがたがたと閉まりだし、電気は消えて、あちこちから悲鳴があがった。
目の前の事務所を覗くと、パソコンはみんな落ちていて、キャビネットや、荷物は倒れて散乱していた。

もう一発来るぞ!外に出よう。
呆然と固まっているみんなに声をかけて、外へと走った。

広い駐車場に100人前後の従業員や定時職員が非難した。
何度も余震が来て、事務所には結局入れなかった。

後から来た、人の車についているテレビで、刻々と状況がわかってきた。

僕が昨年5回も行った大船渡が何度も映しだされた。
泊まったホテルや、ひとつしかないスーパーを津波が町ごと飲み込んで行った。
車や船が、洗濯機に入ったおもちゃのように流されて行った。

ぜんぜん欠けているのは臨場感。

圧倒的に感じるのは絶望感。

車で何とか野田まで送ってもらった。
実家は何とか無事だったが、いろいろ細かい被害は出ていた。

車を借りて家に帰った。
子供は怖くて泣いていた。
被害は食器が割れて、物が倒れた程度で助かった。

結局土曜も日曜も出勤し、大混乱している中、必死で仕事した。
工場は連絡取れず、または大きな被害。
交通は寸断され、電気や燃料が尽きて大変なことになった。

物流に多大なる影響が出た。
時が経つほどに、この震災の被害の大きさを実感した。

停電

津波

放射能

考えられないような事態となった。

今日は僕はマラソン大会に参加する予定だった。
もちろん中止となった。

今までのこととこれからのこと。
なんだか言いようのない不安と、空しさがおそった。

今は自分にできることを精一杯やるしかない。