この前子どもと松戸の土手に行った。
日曜の午後だから、少年野球の甲高い声や、サッカーを楽しむ若者たち、一人でサックスを引いている老人、土手でBBQをしているグループなど、それぞれの休日を楽しんでいる。
子どもは縄跳びをしたり、覚えたばかりの側転をして遊んでいた。
手を洗おうと河川敷にある水道へ向かう中で、土手下の道と河川敷の境に、2メートルほどの小さな側溝があり少しの水が流れていた。
たいした幅でもないので、走って飛び越えた。
跳躍力の衰えた僕にはぎりぎりだったがなんとか面目をたもった。
子どもにも、飛び越えておいでというが、来れない。
水が流れているから怖いのだと思う。
子どもは跳び箱は苦手だが幅跳びでは4メートル跳べる。
だから対岸まで2メートルなら、跳べないはずは無い。
いくら説得しても跳べない。跳ばない。
でも出来ないはずはない。
勇気が足りないんだ、跳び箱でも勇気が足りないから出来ないんだよ!
険悪な雰囲気になった。
でもどうしても出来ずに、その日は帰った。
後で思った。
弱虫で情けない子どもの自分を思い出した。
あのころ川にかかった丸太橋を渡れずに、父に背負ってもらって渡ったことがあった。怖くて目をつぶっていた。
だからそんな勇気など微塵も無く、運動も出来ずに家で遊ぶのが好きだった自分には、あんなことを言う資格があったか。
それでも自分よりも良くなって欲しいのだから、言うしかないのだろう。
翌週にまた土手に行った。
あの側溝のことは言わずにいた。
でも、子どものほうから言い出してきた。
もう一度やってみたい。
自分なりに歩幅や助走の距離を何度も調べて、確認していた。
僕はもう口出しせずに少し離れて観ていた。
今度は跳べた。