今日は友人の父が急逝したとの事で通夜に駆けつけた。
定時に職場を後にして、電車とタクシーを乗り継ぎ斎場へと向かった。
着いたときにはお焼香は終了し、奥の部屋では通夜振る舞いをしている。
普段なかなか会わない人にも会った。
人の死は、また、思わぬ人を呼び寄せる。
それはその人の人脈なのか。それともその人の人柄なのか。
それとも「人の縁」なのか。
人と人の繋がりなんて、こんな事の繰り返しなのかもしれない。
話をした。記憶をたどるように。
その人の思い出話や、回想録、心に残る言葉。
そんな話をして、笑う人もいる、涙ぐむ人もいる。僕もふと目を閉じる。
僕にはそんなに深い縁は無かったのかもしれないけれど、それでも僕をここに呼
び寄せ、酒を酌み交わしながら今僕は、こうして話をしている。
だから縁はあったのだと思う。
今夜何年かぶりに平日夜、野田で友人たちと酒を飲んだ。
今日の出来事を「書いて」くれと言う。それが供養になるのだと。
今までは友人の結婚式や出産祝い、新築祝いに呼ばれることが多かったと思っていた。
しかし今では、ポツリポツリと不祝儀の知らせを受けることが多くなった。
ふと考えてみれば、自分の親に、いつ「何が」あってもおかしくない歳に、気づいたらとっくになっている。
妻に話したら「人はいつか寿命がくるのよ」とそっけなかった。
人の寿命について論議するつもりなど毛頭無い。だからそんな返答は的外れだと思った。
人の不幸の知らせを聞かされるたびに僕は思うことがある。
目隠しされて見知らぬ土地に置き去りにされたような錯覚。
何か、その人に「言い残したこと」があったのではないか
そう感じてならない。
それでも明日は容赦無く訪れ、また仕事や暮らしに追われる日常が始まる。
でも今夜だけは故人を偲びたい。
心からお悔やみを。。