土曜日は父の退院で朝から病院に迎えに行った。
いつも何かにつけ愚痴って、ボヤいて。
ぶつぶつと、他人を悪く言う。
僕が幼少の頃からなんにも変わってない。
一生変わらないだろう。
その足で母に面会に連れていった。
帰りに食事した。スープが飲みたいと言うから。
食欲はある。
喜んでいた。
父はとても狭い世界観のなかで生きていると感じた。
自分の身の回りの出来事が全て。
それ以外は他人事。
それはある意味幸せかもしれない。
土日は走った。
もうくたくたで辛かった。
日曜はBSプレミアムで佐野元春のVISITORSの30周年記念番組やってた。
15才の僕はあのよさがわからなかった。
佐野元春は3枚のアルバム出して、サムデイのヒットもあったのに、突如ニューヨークに行ってしまった。
当時ニューヨークは今よりも混沌としていた。
ヒップホップが注目されていた。
新しい刺激。
佐野元春は様々な体験をしたという。
向こうで初めての友人が、ドラッグで死んだ。
華やかさの裏側の世界。
人種差別。
音楽ビジネス。
結果、日本から持っていった曲を全て廃棄してしまう。
全て新しく作り直した。
日本に帰り、アルバムは1位。
しかし賛否両論が起きた。
それまでの3枚とは明らかに異質なアルバムは、変わらない佐野元春を欲していたファンからは失望された。
日本では、まだまだ時代が彼の変化に追い付いてなかった。
世界は狭いというが、日本というさらに狭い世界、もっと狭い身の回りの世界。
当時の幼い自分には、洋楽を聴くだけで新しい刺激を受けていた。
まだまだ何も知らない中学高校だった。
東京への通学電車の中で聴く音楽が全て。
放課後の帰り道で寄り道する。
上野、渋谷、お茶の水、毎日が新しい刺激の連続だった。
それもいま考えると狭い世界。
リスナーは同じものをくれと言う。
変化を受け入れられない。
いや、それもひとつの答えだが。
父は身の回りの小さな世界で暮らしてる。
それは間違いではない。