hero

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子供の運動会に行った。小学校最後だから天気がよければいいなと思っていた。
天気がよくてほっとした。

どの親も自分の子を応援している。

父はビデオを回して、母は写真を撮る。
おじいちゃんが趣味で始めたカメラ。家族に白い目で見られていた高価なレンズや一脚が脚光を浴びる。

久々大役を任されたおじいちゃんは、自慢の一眼レフに一脚と脚立をかかえ、ベストショットを狙うために陣取っている。

そこにはたくさんのヒーローたちがいる。

ビデオや写真の「主役」は親に感動を与える。

それは永遠のヒーロー。いつでも親はそう願い信じている。

そんな親たちがたくさんいた。

いつの時代も小学生のわが子はみなヒーローだ。

しかし活き活きとしたその笑顔も、中学高校と進むにつれ、悩みや苦悩に変わっていく。

しかしそれが悲しいことだと言っているわけではない。

その苦悩は大人になるためのモラトリアム。

親も子も、もうビデオの中のヒーローではいられないことに気づく。

予定調和の運動会はそこに無く、清く正しいルールも無ければ、公平に紅白に分けられて戦う事も無い。
勝ち負けはこっそりつけられて敗者復活は無い。校長先生もいない。
戦いは続いていく。

そんなときはビデオを見せたい。いつでも「ヒーロー」に会える。

悩む時、くじけそうな時に自分を励ますのは、ただ一人。

過去の自分自身。

まっすぐに正直に、自分が正しいと思った道を進んできたという証だけが、未来の自分を励ます。

そして未来の自分を励ませるのは今の自分だけ。