週末の鍋

今週は母が入院して、木曜に見舞いに行った。母の記憶は曖昧だが現在のことは話ができる。しかし3日前となると厳しい。でも今は病状の回復を妨げぬようにしたい。
楽しい話をして笑わせて、未来の話をした。

土曜にも行った。花籠を渡したらとても喜んでくれた。

母はおそらくおそらく自分が「忘れっぽい」という事をしっている。
だから見るたびに思い出してくれることも含め、喜んでいた。
弟が置き時計を持ってきたことも、時計を見るたび思い出してくれる。
そしてそれらを見るたびに本人は安心できる。

母は食べるのが大好きで、週末はいろいろと僕が旨いと思った店に連れていき、父や母が喜んでくれるのが好きだった。

この前、ソラマチに連れて行って、2人で下からスカイツリーを見上げ驚いた顔していたことを話したら覚えていた。

その前は、牛タン専門店の定食を食べたときは喜んでいた。
肉が固いかと心配したがボリュームある定食を完食してはしゃいでいた。

遠出の旅行などはあんまりできないが、皆でうまいもの食べながら大笑いする。
そんな些細なことの繰り返しが、幸せに繋がるのだと思っている。

年に一度の豪華旅行よりも、週末の笑い。

僕の両親も高齢だが、ママの両親はもう母だけ。
土日も働き詰めで痛む膝や腰を我慢して暮らしてる。

生きることで精一杯。
収入が少ないから最低限の質素な暮らし。

だから週末には一緒に買い物をして、鍋をする。

勤め先に行って終わるのを待つ。電車と徒歩で一時間かかる。高齢者にはきつい飲食店。宴会が入ると残業になり何度も二階まで料理を運んで重労働。

家で鍋は一人では普段しない。でも僕らが来たときはできる。
カセットコンロと鍋は購入してあげた。

はじめは、使わないからいらないと言っていたが、鍋をしてあげたら喜んだ。

週末の鍋は喜んでもらえてると思う。

怪我だけはしないようにと話している。

怪我だけはしないように。今の暮らしが少しでも続けられるように。一人暮らしが寂しくないように。

 些細なことの積み重ね。