若さの特権

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日曜日は野球があった。昼からの試合だが集まりは悪い。

もうこの歳になると、日曜でも疲れた顔でやってくる。みんなが平日どのくらい疲れているのかはわからないが。

野球は好きだが僕も腰が痛かった。

9月の強い陽射しは容赦なく照りつけて、なおさら身体に暑さがこたえる。

試合は負けてしまった。


夜は家族で外食した。商品券があったから。

おおたかの森SCに行った。

食べ放題のお店に入ってしばらくしたら、高校生の男女が大勢やってきた。

40人くらいでもう大騒ぎだった。

しかし驚いたのはうちの子は女子高校生よりも背が高いということだった。

いくらかかとの高い靴をはいているとはいえ、早生まれのハンデをものともせず背が伸びた事に感心した。毎日牛乳を飲んでいたからだろうか。背が高いのは誰に似たのか。褒めたら笑ってた。

しかしもう11歳にもなれば、親の言うことばかり聞いている、親にとっての「良い子」という側面だけではない。

赤ちゃん言葉で話しかけたり、口うるさく忘れ物や宿題のことを言う母親に

「私のこと 子どもあつかいしないでよ!」と言って怒っている。

服や靴も派手になってきた。もはや親が望むものとは違う。
いつしかまつげのカーラーやヘアアイロン、日焼け止めやマニュキュアが部屋に置かれた。
朝は食事に10分、髪のセットに20分もかけて、美容院に行き始め、ストレートパーマをかけたい、コンタクトにしたい、と怒っていた。

子供扱いしないで!と、繰り返し言う子に僕は言った。

「大人になる」とはどういう状態を指すことだい?

背が高いこと
髪がきれいなこと
おしゃれなこと
自分の部屋があること…

外見は大事。

でも大人になるということは、外見も中身も大人でないと「大人」とは言えないよ。

中身は見えないから外見だけでいい!
と怒っている。

「私のこと子供扱いしないで」と言うこと自体が、子供だということなんだよ。

 じゃあ、どうしたら大人なの!

自分のことを「こどもだなあ。」と省みることが出来るようになったなら、初めて大人になったといえるのかな。

 そんなの意味わかんない!

自分自身を「客観的」に観ることが出来るという事だよ。

 「客観的」の意味がわからない!

話は平行線を辿り、週末はあっけなく終わった。


そして今週も始まった。
今日は仕事が遅くなり夜8時半を過ぎた。

丸の内線に後輩と乗って、この後千代田線で家に帰るか、半蔵門線に乗るか、迷っていた。

後輩(26歳)は夏休み明けで、日常の仕事に復帰して、何だか空しいと言っていた。
休み明けの自分と同じだ。

2ヶ月前に彼女と別れて、休みの期間中に、合コンで知り合った新しいガールフレンドと2回目のデートをしたという。

昼の映画館。

トイレに行きたいのを我慢して辛かったという。

我慢した甲斐あってか、1度目の横浜デートではそっけなかった彼女も、少し心を開いてくれたという。
彼女はその夜は飲み会があるからと言って帰ったらしい。

ちょっと微妙だ。

僕はそんな彼に、「もっとがんばれ。積極的にイケよ。」と励ましていたが、それほどノリ気でもないみたいだ。元カノの写メなど携帯にあるという。

元カノの方がかわいいし、性格も良いとも言う。しかも職場の中にも気になってる人がいると言う。

デートしてても前の彼女を思い出す、という話を僕にしていたら、僕の隣で聞いていた課員に怒られた事を思い出した。

そんなの新しい彼女に失礼よ!写メも消しなさい!


!!そりゃそーだ。!!


と一緒に言ってやった。

思い出した彼は苦笑いしていた。


でも僕は内心思った。

独身で若い彼に「一途」である必要など、全く無い。
たくさんがんばれよ。そしてたくさん失敗して、たくさん学べ。いーじゃないか。若いんだから。
今なら間違えることが出来る。そして今しか出来ない。

何が正しいのかをいくら解いても、「間違えて」みなければ、正しさの大切さもわからない。

間違えて学べるのは若さの特権。


僕のような歳になると、「間違えずに」学ばねばならない。


そんなことを思い出しながら、淡路町まで行って、千代田線に乗り換えようか迷ったが、結局下車しなかった。

大手町で半蔵門線に乗り換えて半蔵門で降りた。

もう9時半にもなろうとしていて、1周だけして帰った。

2周するつもりが、予定通りには行かない。でも遅いので撤収した。

“間違えて”明日、体調を崩す訳にはいかない。


自分の子は、反抗期を向かえ自我に目覚め始めている。
そして、たくさん間違えてもいいから、正しさの大切さをを学んでほしい。

今しか出来ない。